ぼくは何歳まで生きるのかわからない

 だって、死ぬ人は何歳だろうが死ぬじゃない? 何歳で死ぬのかなんて、今元気で生きている人だってわからないし、医者にあと何ヶ月だとか言われた人だって、実際はわからないんだよね。ガンとかでも結局治っちゃう。そういう人、たくさん見てきたし。

 それならさ。別に病気だろうがなんだろうが、自分から80歳くらいでとか決めなくていいし、いま63歳なんだけど、それらしくなんて考えなくていいよね。

何歳でどうなるとかって、決めなくていいじゃん

 まわりの人を見ていると、30代はこうで、60代はこうで、80になったらこうでって決めてそうなっているように見える。「(60代に)見えません。」「らしくない。」それでいいやって思う。もっと言えば、それ、どうでもいいかな。

誰もが非日常を生きてる

 日常ってそれが何?って思う。いつも通りなんてこと、実際一瞬たりともないと思う。人はこれがいつも通りと思い込むことで安心したいだけなんじゃない? いつも通りじゃない出来事を無視しているだけ。

 だから、わざわざ無視できない出来事が起きたって、それを非日常って思う必要はない。望み通りの出来事が起きたら、ラッキーだと思う。予期せぬ出来事も、受け止めるしかない。非日常、ウェルカム!

ウィスキーをおいしい水で薄める

 「薄める」なんていうと、「味が薄くなる=まずい」って思う人もいるだろうから、イヤかもしれないけど、水割りってそういうことだよ。戸河内とかってウィスキーをいただいて飲んでいるんだけど、水がおいしかったら、割るんじゃなくて、ブレンドだよね。ウィスキーと水とのブレンド、カクテルってことだわ。なんかさ、形式張って、きれいなウィスキーグラスに氷を浮かべなくたっていいじゃん。ブリタの浄水でウィスキー・カクテル。今、これがおいしいと思うから、おいしいもんね。